発足の理由

我々はなぜブログを更新するのだろうか。
目立つため? お金を稼ぐため? 
それとも言いたくて言いたくて仕方がないことを言うため? 

もちろん、何のためにブログを書いたっていい。そこに規約はない。
誰かが言ってたから、という動機だってNo Problemだ。
でも、ブログは奇跡的なまでに自由なメディアである。
これだけしがらみあふれる社会で、そんなものは一切気にせず更新できるメディアなのである。
それをわざわざ杓子定規に合わせる必要なんてもったいない話ではないか。
あなただけの場所を作るために、ブログを使って欲しい。僕はそう願う。
たとえそれが地味なブログになったとしても。

僕は地味なブログ、ということをもっと肯定的に捉えていきたいと思う。
「地味なブログでもいいじゃないか」ではく、「地味なブログがいいじゃないか」という転換だ。

あなたも一度や二度、うまく言葉にならない記事を読んだことがあるだろう。
心の奥に刺さりすぎて、簡単に感想を述べるのが憚られるような記事だ。
そんな記事は、ソーシャルメディアには流れないし、ニュースキュレーションにもピックされない。
だからといって、その記事に読む価値がないのだろうか。あるいは存在価値はないのだろうか。
そんなことがあるはずがない。むしろ、僕たちに本当に必要なのは、そうした記事なはずだ。

でもそんな記事は簡単には見つからないし、簡単に書くこともできない。
自分の言葉を大切にしているブロガーが、丁寧に自分の想いを綴るとき、そうした記事は生まれる。
もちろん、そんな記事はバズらない。でも、そんなことはどうでもいいではないか。
書き手は、たった一人にでもその記事が届けば十分だろう。
それは、ブログというメディアがなければ届かなかった祈りの声なのだ。

僕はそういう記事と出会いたい。そういう記事だけを読んでいたい
物を売ることに専心して、読者を見失った記事なんか読みたくない。
下品なネタと他者への攻撃で話題を集めることしか考えてない記事なんか読みたくない。
この記事が読めて本当に良かったと、そう思えるような記事と出会いたいのだ。

でも、現代の情報流通はその出会いに向いてはいないようだ。
現代では目をひくもの、簡単に感想が言えるものが優先されている。
そして無反省にそれが正義だと騒ぎ立てている。
たぶん、その傾向は今後も拡大していくだろう。

だからといって、それを黙って見ているだけでいいのだろうか。
人が人たるゆえんは、環境を変える力と意志を有していることだ。
どれだけ世間の動きが激しかろうとも、できることは何かあるはずだ。

僕はリストを作ろうと思う。とっても大切なリストだ。
とはいえ、このリストには何のインパクトもない。
リストに載ったからといってお金にもならないし、人気商品のレビュー依頼もこない。
たんに、あなたの記事を読みたいと願う読者と出会えるかもしれない、というだけだ。

このリストに名前を載せるためには、たった二つの理念に同意してくれさえすればいい。
一つ、運営者が心を持つ存在であること。
二つ、読者を財布と考えないこと。

どうだろうか。簡単ではあるまいか。
あなたが普通に更新すれば、それだけで十分基準を満たすだろう。
余計な出来心さえ捨て去れば、それでOKだ。

そして、ブログは自由である。だから、この理念に反しても何も罰則はない。
判決を下すのは、いつだってあなた自身なのだ。